The moon and a shuttlecock


12月 ~クリスマス編~ 崖の家にサンタが来たよ!


「……あ?」
 その朝、いつもより早く、ハレルヤは目を覚ました。
 隣りを見ると、アレルヤはまだ眠っている。
 おかしい。
 アレルヤより早く目が覚めるなど、滅多にないことだ。
 向かいのベッドを見ると、ニールもまだ寝息をたてていた。
 カーテンのない窓からは、冷気をわずかにゆるめる穏やかな白い光がさしこみ、床板に薄く、窓枠の長い影を浮かび上がらせている。
「っ! さみぃ…」
 身体を起こしかけて、肩に凍みた気温に、ハレルヤは再びベッドに潜り込んだ。
 アレルヤに身体を密着させようとして、ふと、ベッドの枠になにかが吊り下がっていることに気が付く。
「?」
 布団の中で身体の向きを逆にして、足元のほうから顔を出し、脇から覗き込むと、丈夫な木製ベッドの枠の角にある突起のような飾りから、見慣れない袋が2つ、下がっていた。
「なんだぁ?」
 セキュリティは正常に作動しているようだし、アレルヤもニールも良く眠っている。危険物とはまず考えられないだろう。
 ハレルヤは手をのばすと、袋のひとつをそぅっと手にとった。
 重くはない。
 それほど厚みのない袋を通して、中身が手に触れる。なにか、角ばったものと、やわらかいもの。
 袋は明るいオレンジ色で、もうひとつ下がっているのも同じものだった。
「アレルヤ、アレルヤ」
 袋を持っているのと反対の手で、ハレルヤは布団の中のアレルヤの足を揺すった。
 もともとアレルヤは寝起きが良い。それに、ハレルヤのためなら、どんな時間でも起きて相手をする。
 アレルヤは目を開けると、すぐに頭を起こし、ハレルヤの居場所を確認した。
「…ハレルヤ? どうしてそっちを頭にしてるの?」
「なぁ、これ、なんだ?」
 ハレルヤが、オレンジ色の袋をすこし持ち上げて、アレルヤに見せる。
「なに、それ…?」
「わかんねぇから聞いてんだよ。起きたらここにあったんだ」
「ぼくも知らないよ。うわ、寒いね」
 布団から出ようとして、アレルヤが肩をちいさく震わせた。ハレルヤと同じように、布団にもぐって足元のほうに顔を出す。
 同時に、壁にあるセキュリティボードに素早く視線を走らせた。オールグリーン。異常はないようだ。
「なんだろう。2つあるね」
「同じもんかな。開けてみっか」
「大丈夫かな。火薬や薬品のニオイはしない?」
「しねぇ。液体でもないみたいだ。箱みたいなのと、棒みたいなのと、やわらかいものが入ってるぞ」
「開けてみろよ」
 突然聞こえてきた声に、ハレルヤがちいさく跳ねた。
 寝起きのニールの声は、すこし聞き慣れない印象で、からだが過剰に反応した。
「──なんだよ、起きてたのかよ」
「今起きた。開けてみろ。この家に煙突はないけどなぁ」
「ナニわけのわかんねぇこと言ってやがる」
「──あ!!」
「なんだよアレルヤ、いきなり大声出すなッ」
「ニール…これって、もしかして……」
「アレルヤ、なんだよ、わかんねぇッ」
「ほらハレルヤ、夕べって」
「ぁ? 夕べ?」
 アレルヤが、「わかんないの!?」と言いたげに笑顔で見つめている。
 その表情にまたイラッときながらも、ハレルヤは壁にかかっているカレンダーを見た。
「今日が…25んち。ンだよ、あの金色の星マークは? こないだまでなかったぞ?」
「おれがシールを貼ったんだ」
「はぁ!?」
「ハレルヤ、今日がなんの日か、知ってるか?」
 カレンダーには星マーク以外に、特にはなにも書いていない。
「知らねぇよ」
「クリスマスだよ」
「? あれか? キリストが誕生した日ってやつか?」
「そうそれだ」
「それと煙突とどういう関係があんだよ」
「クリスマスの前の夜は、イヴっていって、サンタクロースが世界中の子供たちにプレゼントをくれるんだ。煙突から入ってくるんだよね?」
 アレルヤの問いかけに、ニールが天井を向いたまま、微笑みで応える。
「んなこと知るかよ、誰だよそりゃ」
「ぼくたちのところには、一度も来なかったもんね…」
 ニールが慌てたように、いかにもわざとらしく、咳払いをした。
「あ~、そりゃあさ、トナカイとそりだから、じいさんも宇宙まではさすがに行かれなかったんだろ。トナカイ用のノーマルスーツがなかったんだよ」
「わけわかんねぇ…。大体、一晩でどうやって世界中回れんだ?」
「ハレルヤ、それはえっと…サンタクロースっていうのは架空のおじいさんでね、プレゼントは…」
 アレルヤの視線を追って、ハレルヤが怪訝そうにニールを見た。
「? コイツがじゃあそのジイサン…?」
「うん、そういうことになるんだと思う」
 ハレルヤの金色の目が大きく開いて、ニールをまじまじと見つめる。
 ニールは笑い出すと、寝返りを打ってふたりの方を向き、頭を片腕で支えた。
「いいから、開けてみろ。危険なもんじゃねぇよ」
「開けてみよう? ハレルヤ」
 良く見ると、袋の口を縛っている華奢なリボンには、ちいさなちいさなカードがついていた。
 “Allelujah”
 “Hallelujah”
 ニールの筆跡だ。愛用の万年筆で書かれた、美しい藍色の文字。
 一切知らずに大人になってしまった、子供がもらって当然のはずの喜び。
 アレルヤとハレルヤは、それぞれ自分宛ての袋を手にとると、ぎこちない手つきで、綺麗に巻かれたリボンを解いた。
 中には、石のはまったペンダントが収められたちいさな箱と、マフラーと、大きなキャンディケーン(ステッキの形をした縞々模様のキャンディ)が入っていた。
「わぁ、すごい!」
 ペンダントの石は、ニールの瞳の色に似ている。美しい湖と森の色だ。鎖はプラチナで、止め具には来年の西暦が彫ってあった。
 マフラーはカシミアだろうか。とても上品な手触りで、細く長い房がたくさんついている。
「綺麗…お揃いだよ、ハレルヤ」
「オレのマフラー、裏のタグにH.Haptismってあるぞ」
「ぼくのはA.Haptismって刺繍がしてあるよ。すごいや、これなら同じ色でも間違えないね。こんなの初めてだね、ハレルヤ」
 目を輝かせているアレルヤと、すこし戸惑った様子のハレルヤを、ニールは笑顔のまま、じっと見つめた。
「お気に召しましたか?」
「うん! うん! ニール、ありがとう!」
「なぁ…本当に、もらっていいのか…? 家族でもねぇのに、なんでこんなことすんだよ…」
 アレルヤもそうだと感じていたが、ハレルヤは特に、幸福に慣れていない。
 ニールはまるで弟に向かってそうするように、ハレルヤに微笑んだ。
「そういうことは考えるな。気に入ってもらえたら、おれも嬉しい」
「……。てめぇがなに考えてんのか、さっぱりわかんねぇ……」
「いいんだよ、道に迷ってたサンタクロースのじいさんが、やっとこさ来たと思えばいい」
「……。じゃあ、コイツは賞味期限がきれてんだな?」
 ハレルヤが、ずっしりと重みのある紅白のステッキを持ち上げて見せる。
「キャンディに賞味期限なんかねぇよ。安心しろ。ただし食っていいのは食後だぞ? メシが食えなくなるからな」
「……けっ、ジジくせぇ」
 吐き捨てるように言ったハレルヤの頬は、だが、ずっと熱くなったままだ。
 そんな様子を、ニールはずっと笑って見ている。
 かわいいよなぁ、本当に──。
 ハレルヤの性格は、アレルヤよりずっと素直でわかりやすい。
 マフラーを早速巻いて、その手触りを楽しんでいたアレルヤが、嬉しそうな表情をふと曇らせて顔を上げた。
「だけどニール…。ぼくたちはなにも用意が……」
「おれはガキのころちゃんと家族にしてもらってたから、いいんだ。今度はおれがする番だって思ったんだよ。もちろん、お前らはガキって歳じゃあないけどさ」
 アレルヤはまだすこし、納得がいかないという顔をしていた。
 当然のことかもしれない。
「朝起きたら枕元にプレゼントがあるなんて、ワクワクすんじゃねぇか。街で選んでるとき、おれもすんげぇワクワクした。好きなヤツになにか贈るって、良いものなんだな」
「でも──」
「素直にもらっときゃいいんだって。良かったら使ってくれ」
「もちろん! もちろんだよ、ニール! ほんとに、ありがとう」
 再び嬉しそうな顔になり、ハレルヤにもマフラーをかけてやるアレルヤを、ニールは目を細めて眺めた。
 ベッドの上で寒さも忘れて座り込み、解かれた包装紙やリボン、それからプレゼントを前にして、アレルヤもハレルヤも、まるで子供のように瞳をキラキラとさせているのだ。
 こんな顔が見られるなんて。ずっと見ていたい光景だ。
 ニールはベッドの中で伸びをすると、再び向かいのベッドの様子を穏やかな笑顔で眺めた。


 ニールに呼ばれてキッチンへ行くと、テーブルにはシーフードチャウダーやキッシュ、ポテトスキン、それに大きな鶏が一羽まるごと、こんがりとキツネ色に焼けて大皿に乗っていた。
 どうりで、家中いっぱいに良い匂いがしていたはずだ。
 勧められるままに席につくと、グラスにワインが注がれた。初めてのことばかりで、アレルヤもハレルヤも落ち着かない。
「あ、朝からワイン?」
「軽いやつだからな、大丈夫だ」
 ニールがボトルをテーブルに置くと、窓から差し込む日光で、真っ白な皿の縁がゆらゆらと色づいた。
「まずは乾杯しようか」
 グラスを手にとり、なんとなく所在無げな二人を促すと、鶏をじっと見ていたハレルヤが顔を上げて、訝しげにニールを見つめた。
 なにに乾杯すんだ、と言いたいのだろう。
 その胸元に蒼い石がのぞいて、ニールが思わず微笑む。
「この家で、お前さんたちと、おれと、3人で暮らしている日々にだよ」
 すこし照れくさそうに眉を寄せたハレルヤが、素直にグラスをとった。
 目線までグラスを持ち上げて乾杯をすると、白い肌と、金銀の瞳に、瑞々しく葡萄色が映えた。
「さて。どれから食いたい?」
「これ…全部ニールが作ったの?」
「あぁ、待たせて悪かったな、下ごしらえは夕べしてあったんだが。腹減っただろ」
「うぅん、そうじゃなくて…」
 3人ではすこし手狭に感じるテーブルに、テーブルクロスの柄も見えないくらいに並べられた料理の数々。
 見たことのないものもあって、アレルヤが選びかねていると、ニールがナイフを器用に使って鶏を切り分け、ポテトスキンと一緒に皿に盛ってくれた。
「ハレルヤ、こんなこと初めてだね。クリスマスにプレゼントをもらって、ご馳走があるなんて」
「くだらねぇ」
 取り分けられた鶏の足に噛みついて、ハレルヤはいつもそうしているように、椅子に片足をかける。
「オレたちには神もなんも最初からいねぇだろうが」
「そうだけど…」
「それでも、このくらいはいいだろ? 普段よりご馳走を食べて、それから写真を撮ろう」
「写真?」
「お前の写真、ないだろう」
 ハレルヤの大きく息を呑む音が響いた。
「ずっと気になってたんだ。そこにかかってる写真に、お前がいないことが」
「──だって、オレはアレルヤの…」
「世の中から見てどうなのかなんて、ココじゃ関係ねぇよ。お前はお前だ。ちゃんと存在してるんだ。3人で、写真を撮ろう」
「てってめぇも入んのか…!」
「あれ? ダメか?」
「…っ…」
「いいさ、それでも。おれがふたりとも美人に撮ってやる」
「べ、別にダメだなんて言ってねぇだろ…ッ」
「もう、ハレルヤ…」
 アレルヤが、すこし紅く染まったハレルヤの頬に、チュッとキスをした。
「クリスマスツリーは用意できなかったけどな。1本森から拝借しようと思ったんだが」
 そういえば、数日前にスコップを持ってニールが裏の森へと入っていくのを目撃した。ちょうど買い物から戻ったところだったアレルヤは、真冬になにを採りに行くのだろうと見送った。
「モミの木があまりにでかくてさ、あきらめちまった。家に入るサイズのなんかねぇんだもん」
「そんな、充分だよ。ぼくたちにとって、初めてのクリスマスだもの」
「…そうだな。夜中にものを貰ったのも初めてだ」
「本当に、ぼくたちからはなにもしなくていいの?」
 ──早く、幸福に慣れてほしい。
 ニールは目の前のグラスをとると、空いたスペースに肘をついて、悪戯をした子供のような瞳でふたりを見た。
「もちろん。お前さんたちの寝顔をじっくり見れたからな」
「え…」
「ぁあ!?」
「寝顔は天使って言うけど、あれって本当だな!」
「な…、な……、」
「ニール…!」
 驚いて声も出なくなったアレルヤと、怒ってフォークの柄の先をテーブルにガンと突いたハレルヤの、両方の頬が紅く染まっているのを認めて、ニールは声をあげて笑った。


 翌日。
 ベッドルームの壁にもう1本釘が打たれ、新しいフォトフレームが掛けられた。
 美しい木彫りの真新しいそれには、青空と海をバックに、満面の笑みのアレルヤと、照れたような怒ったような顔をしたハレルヤと、真ん中にいるハレルヤの肩を越え、アレルヤの肩に右手を乗せて、左手で狙い撃ちをする笑顔のニールが収まっていた。



   



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