The moon and a shuttlecock


(6)


 5月。

 開け放った窓から、優しい風が入り、ハレルヤの頬をさらさらと撫でている。
 窓際の席は、ハレルヤの指定席になった。
 波の音と、庭の植物がこすれあう、かすかな音。
 コロニーで生まれ、本物の自然を知らずに育ったハレルヤにとって、穏やかな表情の海や空は、最初は脳が認識できず、雑音に感じることも多かったが、すぐに慣れて、心地よい存在になっていた。

「お前らさぁ、なんか欲しいもん、あるか?」
 食器を洗っていたロックオンが、流しに向かったまま、唐突に訊ねた。
「どうして?」
 ハレルヤのキャンディーボトルに、新しい袋からキャラメルをざらざらと移していたアレルヤが、ロックオンを振り返る。
「一発当てちまった」
「なにを?」
「株」
「そっか。すごいね」
「全部貯金してもいいんだが、たまには他に投資してもいいかと思ってさ」
「投資って……ぼくたちに?」
 冗談っぽく笑って、アレルヤは2袋めのキャラメルを開封する。
 ここでの暮らしは、基本的に質素だ。考えてみたら、越してきてから、大きな買い物はしていない。
 たまに、すこし離れた街まででかけて、食糧以外の必要なものを買うくらいだ。
「今は充分だよ、ロックオン」
「そうか。じゃあそこの森を全部買っちまうか」
「え?」
「クマやウサギ込みで」
「って、ロックオン! 一体いくら儲かったの!?」
「ん~? 経済特区一等地の広い部屋が買えるくらい?」
「それって……」
 いくらだ? と、ハレルヤが訝しげにアレルヤを見る。
 ロックオンが株をやっていることは知っていたが、まさか、そこまでやり手とは思っていなかったアレルヤは、キャラメルをバラバラとテーブルにこぼした。
 すぐ前まで転がってきたその1つを、ハレルヤが口に入れる。
「今は半分しかおれの名義になってないけど、全部買っちまえば森の中に張ってあるフェンスもとれるし、そしたらハレルヤも安全だろ?」
「どういうこと?」
「ハレルヤがこないだ食ってた赤い実なぁ、あれ、よそさんの敷地のだろう」
「そうなの?」
「不法侵入に盗み食いだ」
 ロックオンが笑いながら、ハレルヤを振り返った。
 フェンスは、電流が流してあるわけでもない。ただの鉄の柵だ。動物を傷つけないように、鉄条網も使っていない。
 だからといって、3メートル以上あるそれを、ハレルヤがわざわざよじ登るとは、予想していなかった。
「なんか魅力的なもんでも見えたのか?」
 水を止めて、タオルで手を拭きながら、再びロックオンがハレルヤに笑いかける。
 ハレルヤは噛んでいたキャラメルを飲み込み、すこし頬を紅くして、ふん、と目をそらした。
「もう、ハレルヤ、ぼくがいないときに……」
「向こう側を持ってるのが心の広い人間とは限らねぇしな。特になにがある森でもないから、すこし上乗せすりゃ買うのは難しくないだろ」
「でも、クマが出るんでしょ? 危なくないかな」
「もともとおれが持ってる森は、危険な動物がいないエリアだったんだが、ハレルヤがフェンスを乗り越えて向こう側に行っちまってるんじゃ、どっちにしろあんま意味ないだろう。とりあえず、ヘタすりゃこの家までクマが来ちまうから、フェンスは残したままにするが、まぁ森には必ずついてってやらなきゃダメだろうなぁ。ハレルヤに行くなとも言えねぇし。ハレルヤは、海も森も、気に入ってるんだろ?」
「……。あぁ」
「じゃあ決まりだ」
「あ?」
「森に行くときは、必ず、おれと一緒に行くこと」
「なんでだよ」
「お前に銃を持たせたくないからだよ」
「下手くそだからか?」
「違うって。この家にいるときは、武器なんか持たなくていい。それはおれとアレルヤの役目だ」
「……」
「約束だぞ。森には必ずおれと一緒に行くこと。いいか?」
「うぜぇ……」
「ハレルヤ」
 ロックオンは、思っていた以上に世話好きで、過保護だ。
 彼の、仲間を守ろうとする意識が強いのは知っていたが、かつては、それは自分たちに向けられていたものではなかった。
 なんともいえない、甘酸っぱいような、鬱陶しいような、目に見えない不思議な防御壁。
「……わかったよ」
 息が詰まるような暖かみに、ハレルヤは眉根を寄せると、席を立った。



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