live


(1)


「見て、ハレルヤ。あんなに青い」
 アレルヤの前髪を、風がさらりとなでる。
 快晴の、どこまでも澄んだ空。
 今日から、新しい家に住む。


 アレルヤはからだの傷が癒えると、まずは住む家を求めた。
 人目を忍び、息をひそめていた薄暗い場所から、もっと世界が見えるところへ。
 情報を集めるにも、あまりにも世界は変動していて、CBにいたときのようにはいかなかった。
 自力で治した傷は、あとが残ってしまい、各国の軍にも民間にも顔は知られていないはずだが、あまり人前に出たいものでもない。
 目立たないためには、反対に街中で人に埋もれる選択肢もあったが、それはわずらわしく感じた。
 どこにするかは、ハレルヤのひと言で決まった。


 アレルヤ、海が見えるトコにしようぜ──


「正解だったよ、ハレルヤ」
 アレルヤは、窓を大きく開け放ち、さぁっと音をたてて吹き込んできた海風を、嬉しそうに受けとめた。
 廃棄衛星をハッキングして、宇宙からランダムに撮影した海辺の写真から、偶然見つけた、とんがり屋根のちいさな家。
 しばらくこまめに様子を見ていたが、数日経っても人の気配がない。
 海岸線のかたちから詳細な場所を特定して、実際に見に行くと、めずらしいことに木造の平屋建てで、すくなくとも数年は人が入った形跡がなく、床板もところどころ軋むような、かなり年季の入った建物だった。
 広めのキッチンと寝室、バスルーム、物置があるだけの、本当にこじんまりとした家だ。
 荒れてはいたが、なんだか暖かい感じがして、魅かれた。木の家など、足を踏み入れた記憶さえないというのに。
 砂浜までは、ゆるやかな崖を歩いて降りて数分。反対側の湾のほうは目もくらむような絶壁で、裏庭の向こうは森だ。
 まさに、陽のあたる隠れ家として申し分ない。
 その家は、水まわりの機材を新しいものにとりかえれば、若い男が住むには充分だった。
「勝手に借りちゃったけど、ほんとは誰の家だったんだろうね」
 キッチンと寝室の窓から見渡せる水平線から、まぶしいほどに光の粒がさしこんでくる。
「こんなところに住むのは初めてだね、ハレルヤ」
 とんがり屋根は、家のなかから見ても、とんがっていた。
 天井がとても高く感じる。
 壁はところどころニスが剥げてはいるが、木目がとてもきれいだ。
 寝室側の壁には、なにかを掛けていたのか、ちいさな穴と、擦ったような傷。
 買物袋をとき、ふたり分の食器を流しに置いて、アレルヤはふと動きをとめる。
 引っ越すといっても、前にいた場所から運んできた荷物など、ほとんどない。
 途中で寄ったマーケットで適当にそろえた生活用品──石鹸や、色違いの歯ブラシ、食器類に調理器具、当面の食料(これが一番大量)など、ごく最小限のものだけだ。
 家具は、家に残されていたものを使わせてもらうことにした。
「あとで窓枠にペンキを塗らなくちゃ」
 それと、天井を横断している美しい梁にたまったほこりを、掃わなくては。
 扉や窓には、もっとしっかりした鍵をとりつけなくてはならない。
 床も、陽が高いうちに、まるまる水洗いしたい。
 ステンレスの棒をくっと上げて、水がでるのを確かめ、アレルヤはふたたび、海に視線をうつした。
 ここで、いつまですごせるか。
 すこしの間でもいい。人間らしい暮らしをしてみたい。
「大丈夫、そう遠くないところに中継ポイントがあったから、回線はそこから拝借するよ」


 あれから、半年──。
 マイスターの仲間たちも、トレミーのみんなも、消息がどうなっているのか、わからない。
 誰が生きているのかも。


「どう? ここが気に入った?」
 一通りの家仕事がかたづくと、アレルヤは折りたたみナイフをジーパンのポケットに戻して、キッチンの窓から庭に出る。
 庭は荒れていたが、オレンジ色の、ちいさな花が群生して、海風に揺れていた。
「なんていう花だろう」
 しゃがんで鼻を近づけ、匂いをかいでいると、すぐとなりに、気配がした。
 アレルヤは花を見つめたまま、微笑む。
「ぼくたちの色だね」
「…ああ」
「いいにおいだ」
 息を吸い込む音が、かすかに聞こえる。
「そうだな」
「食事のしたくをしよう、ハレルヤ」


 夕食は、手早く肉と野菜のシチューを作った。
 鍋と食材を見て、急にレシピを思い出したのだ。マイスター候補生時代に、年上の、同じくマイスター候補の男が教えてくれたものだった。
 最初からシチューはシチューとして存在しているとばかり思っていたアレルヤのなかで、食材と料理がつながったのは、あのときだ。
 超兵機関では、毎日決まった時間に、味など二の次の、ほとんど冷たくなった薬漬けの食事を与えられ続けた。食べることは、実験と訓練でしかなかった。
 料理をする様を、すぐ脇で感心して見ているアレルヤに、驚いたように笑ったターコイズの瞳はあたたかく、ちょうどハレルヤも起きていて、ハレルヤは頭のなかで、羊肉がくせぇ! と毒づいていた。
 あれは、なんのきっかけだったか。どうして、マイスター候補生が、料理をすることになったのだろう。
 そのあたりは見当がつかないが、世界の変革と、自身の死をも見据えなければならない、冷たく重い施設では、滅多にない、心がやすらぐ時間だったように思う。
 CBに入るまで、見たこともなかった、美しい彼の瞳の色。宝石とはこういうものだろうと、そして、心になにかがちくりと刺さったような感じがしたのを、憶えている。
 そういえば、銃の基本を教えてくれたのも、彼だった。彼のおかげで、射撃の成績はぐんとあがった。
 アレルヤは鍋のふたを開け、スプーンで味見をした。
 味覚に自信があるほうではないが、初めてのわりには、良くできた、と思う。
 ハレルヤのために、自分たちが使うのは牛肉だ。
 ひさしぶりの料理は、アレルヤの心を落ちつかせてくれた。
 キッチンに置いた、ちいさなテーブルに向かいあい、ふたりで時間を制限されることのない食事をした。
 シチューと、パンと、水。
 明るい色の、揃いの食器。
 とくに会話はなかったけれど、ハレルヤがめずらしく文句も言わず、スプーンをわし掴み、音をたててシチューを食べているのを見て、アレルヤは安心した。
 今夜はひさしぶりに、食べものの味がする。
 からになったハレルヤの皿にパンを足すと、ハレルヤは黙ってそれを手にとり、口へと運んだ。
 こんなによく食べるハレルヤを見るのは、本当にひさしぶりだ。
 陽があたり、海風を肌に感じ、さまざまな自然の音に囲まれた家。
 ここでなら、ハレルヤも安心して昼寝ができるだろう。
 この家にして、本当に良かった。
「お前がそんな顔してんの、初めて見た」
 食後のコーヒーを飲みながら、ハレルヤはアレルヤを正面から見つめた。
「いい顔だぜ、アレルヤ」
「そうかな」
「ああ、いい顔だ」
 ハレルヤは笑顔ではなかったが、金色の瞳はとてもおだやかだ。
 アレルヤは、すこし困ったように微笑んで、ポットを持ちあげた。
「コーヒーは?」
「いや、もういい」
「ぼく、ここをかたづけるから、先にシャワーをあびておいでよ」



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