Love! Eros! Glück!! ~ラブエログリュック!~


(1)


「やっぱ冬になると、ヤギって乳の出が悪くなるのな」
 アレルヤが焼いたスコーンに、クロテッドクリームと黒すぐりのジャムをこれでもかと盛りつけてかじりつき、ハレルヤはライルに言った。
 この国の冬は、長い。明け方はひどく冷え込むようになり、一階の自分たちの部屋で、ライルもハレルヤもそれぞれ自分のベッドで分厚い布団に包まって、朝日が部屋を暖めるのを待つようになっていた。
 ニールが気に入ったこの家は、現代っ子の弟たちには信じられないような古い造りだったのだ。
「アンドレイの卵も、ちょっと小さくなったみたいだ」
「アンドレイって、今年から卵が産めるようになったメンドリのこと?」
「あぁ」
 ライルから二杯目の紅茶を注いでもらうと、ハレルヤは自分専用の大きなマグカップに口をつけた。この家の食器に誰専用という概念はないが、お茶の時間のカップだけは、各自気に入りのティーカップやマグカップを持っていて良いことになっていた。
 家のルールを決めるのはいつも兄たちで、だが、そのルールに不服を感じたことはない。
 掃除以外の用事で二階に上がるな、という決まりを除いては──。
 二階には兄たちの寝室と書斎があり、きっとそこでは、一階で繰り広げられているキスやさりげないスキンシップどころではない営みが、毎晩繰り広げられているに違いないのだ。
「でも、すこしくらい小さくなっても、毎朝8コはあるわけだから、充分だよね」
「そらそうだけど。朝メシに卵がないのは許せねぇし」
「でもどうしてソースかけて食べるの?」
「なに言ってんだよ、目玉焼きにはソースだろ」
 ハレルヤは必ず、アレルヤが焦げ一つなく綺麗に焼いた半熟の卵の黄身にフォークを突きたてて穴を開け、そこにソースをたらしてから食べる。それは、ライルには見たことがない食べ方だった。行儀が悪いとは言わないが、ライルが育った家では許されなかっただろう。
 一日の半分を庭で過ごす、陽にやけた手が、二つ目のスコーンにのびた。外側がかりかりで、中がしっとりと“め”が詰まったスコーンは、まだ湯気がたつほどに温かい。
「塩胡椒だよ、普通は…」
「そういやニールも塩かけてんな」
 溶けて流れ出しそうになったクロテッドクリームを舌で受け止めたハレルヤにナプキンを渡して、ライルは自分のカップに指先をかける。兄が選ぶ茶葉は、とても香りが良かった。
「アレルヤもね」
「ありゃニールの影響だ」
「そうなの?」
「いつの間にか塩で食うようになっててさ」
 ニールと出逢うまでは、アレルヤもソースをかけていた。というよりも、それ以外になにをかけたら美味しいのかを知らなかった、という方が正しい。
 アレルヤの味覚が格段に良くなり、繊細になったのは、ニールと暮らし始めてからだった。
「やっぱ、小屋に暖房入れなきゃな」
 ハレルヤはクリームのついた指先をぺろっと舐めると、紅茶にミルクを足した。
 こんなに冷えると、雪が降り始めるのもそう先のことではないだろう。農場にも、巨大な暖房設備があったように思う。
 ハレルヤが動物たちをとても大切にしていることを知っているライルは、愛しいものを見るように目を細めた。
「ハレルヤのヤギのチーズが食えなくなるのは俺もいやだな。あとでにいさんに頼みに行こうよ」
「あぁ」
 アレルヤは今日は、大きな紅茶のポットと焼きたてのスコーンを持って書斎へ行ったが、締め切りは来週だったはずだ。
 ニールの書く小説は哲学的で、男女がセックスをするシーンもあり、刺激的だった。毎月、連載が載っている紙の雑誌が出版社から届く。すでにヒットしたシリーズが二本あり、男女を問わず世界中に熱狂的なファンがいるらしいが、一緒に住んでいてもそういったことはまったく感じなかった。ニールがこの土地に棲みたがったのも、仕事のためだけではなく、不便さや静けさを自分の盾にしたかったからかもしれない。
 見本誌はアレルヤが確認した後、ライルとハレルヤで回し読みをする。紙でできている本なんて読んでしまえば始末に困るだけだろう、と考えていたが、いつの間にか見本誌が届くのが楽しみになり、すこしざらついた紙の感触や、頁をめくるときにふわりと漂うインクのニオイを、心地良いとさえ思うようになった。
 ハレルヤは紅茶を飲み終わると、頬杖をついて自分を眺めているライルをじろりと睨みつけた。
「てめぇはなんでそういつもオレを見てやがる」
「ん? 気になるから」
 ライルがにっこりと笑うと、ニールと同じところにうっすらと笑い皺が浮かんだ。
「似てねぇよな、兄貴と」
「そんなこと言うの、ハレルヤだけだよ。いつも間違えられてたもん」
「今日の仕事は終わったのかよ?」
「うん」
「じゃあ、小屋の掃除手伝え」
「うん、喜んで」
 ハレルヤとふたりきり(動物はいるが)になれるだなんて、願ったりだ。
 テーブルの上の、からになった食器類を流しへ下げると、ライルは手の平を上にして、ハレルヤが腰を上げるのを促した。



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