transparency


(3) ~*R15~


「どうして、こうなっちゃったんでしょうね」
 とりあえず落ち着くために、以前ふたりで入ったカフェで気に入り、会計時に求めた茶葉で、ロックオンは熱い紅茶を淹れた。
 テーブルには、漆黒のバスローブが席についている。空洞なのに、きちんとアレルヤのかたちをして、時折ゆらりと動いている。
 姿は見えないが、声から、アレルヤが落胆している様子が良くわかった。
 ロックオンはキッチンの上にある棚から大きな缶を取り出すと、中からアレルヤの好きなビスケットを出して皿に並べた。朝食のかわりだ。
「見えないからわからないんだが、透明な以外にどこかおかしなところはあるのか?」
「いえ…いたって元気です」
「熱は?」
「ありません。食欲も、ほら」
 ビスケットが1枚、ゆらゆらと宙を飛び、細かい粉を落としながら、ざくざくと音をたてて消えていった。
「いつもと同じで、おいしいです。紅茶もとてもおいしい」
「そうか…元気ならいいんだけどさ」
 ロックオンも席につき、ミルクをたっぷりと注いでから紅茶を啜ると、ビスケットに手をのばした。
 アレルヤと揃いの、漆黒のバスローブに白い肌がとても映えて、濡れた髪に、薄いなめし皮のグローブをした手に、足元は裸足で、そのバランスの悪さがまたひどく艶めかしい。
 アレルヤは、ロックオンが視線を紅茶に向けたままビスケットをかじる様子を、じっと見つめた。
 どれだけ見入ろうと、自分の目線は、今はロックオンには知られずに済むことに、アレルヤは早々に気付いていた。
 思う存分ロックオンを見てドキドキできるのは良い。だが、良いことばかりというわけにはいかなかった。
 アレルヤは、3枚めのビスケットを持った自分の手に視線を落とした。
「透明人間って、自分も自分が見えなくなるんですね」
「そうなのか?」
「思いもよらなかったです。透明になって他の人からは見えなくても、自分では見えるんだとばかり思ってました」
「視力は普通の人間と同じってことか」
「そうみたいです。あなたのことは、いつも通りに見えてます。今日も綺麗、ロックオン」
 こんなときまでそれかよ……。
 ロックオンは口をつけていたカップの中に、飲みかけていた紅茶をちいさく吹いた。
 見えないが、アレルヤはいつもそうしているように、微笑んでいるのだろう。
「これで普通に服を着て街中を歩いたら、みんながびっくりしちゃいますね」
「まぁ、確かになぁ。怖えぇよな」
「あなたに近付くあやしい人を追い払うには良いかもしれないけど」
「昨日のナンパのことか?」
「えぇ」
「あんなの偶然だ。いつも声かけられるわけじゃねぇよ」
 アレルヤが花の種を買いにいっている間、カフェでぼぅっと待っていたら、知らない男に声をかけられた。それを、アレルヤはひどく怒っているのだ。
「ロックオンはこの街でも目立って綺麗だから…」
「心配しなさんな、知らないヤツについてったりしねぇよ」
「当たり前です。隙だらけなんだから……」
 はは、とロックオンは笑う。
 どうして自分を綺麗だと言うのか、ロックオン自身にはさっぱりわからないのだが、アレルヤが綺麗だと言い、たまに通行人からお茶やホテルに誘われることを考えると、世間ではそういうことなのだろう。
「それにしてもなぁ…それなぁ…」
「えぇ…」
 アレルヤが透明人間になったなどと聞いたら、必要なとき以外は部屋から出るな、と言われるだろう。部屋から出るときは常に全身着込んで帽子をかぶり、もしかしたらお面までかぶらなければならないかもしれない。
 もしお面の話が出たら、キュリオスの顔のお面を作ってもらおう。キュリオスのお面をかぶった男が、キュリオスを操縦するのだ。
「それなら、キュリオスが透明なほうがいいんじゃねーか?」
「それはそうかもしれないけど…でも、それだとぼくがコックピットに乗れないよ。透明と不透明を切り替えられるスイッチがついてるなら別だけど」
「あ、そういうことになるのか」
 アレルヤにスイッチがついているとしたら…やっぱりあそこか?
(いや、そういう考えはこの場合洒落にもなんねぇ…)
 ロックオンはバリバリとビスケットを咀嚼して、左手で頬杖をついた。
「お前さんには、スイッチはついてないんだもんなぁ」
「うん、残念ながら…」
 アレルヤが目の前にいるのに、それを目では認識できない。
 同じように、アレルヤ自身、自分は今ここに座って紅茶を飲み、ビスケットを手にしているのに、それを視覚で確認できない。
 どんな感覚なのか、ロックオンには理解を超えた領域のようで想像がつかないが、おそらく、そんなに良いことではないのだろう。
 髪がのびても誰かが切ってやることもできないし、爪を切るのも手探りだ。顔を洗っても、鏡に映るのは肌の上を滑り落ちる水滴だけ。
「バイザーはいつも迷彩にしておかないと、みんなにびっくりされちゃうね。メットの中身が丸見えになるんだもの」
「ティエリアが腰ぬかすぜ?」
「それはそれで、ちょっと見てみたいけどね」
 あーぁ。こいつの顔を見たいなぁ。
 シナモン色の肌に、美しいプラチナの瞳、やさしい微笑み。ときどき、ゴールドの瞳で攻撃的な男にヘンシンするけど、今はそれさえ見えないなんて。
 どれも、どちらも、大好きなのに。
 胸らしき場所に耳を当てれば、心音が聞こえる。手首に触れれば、指先に、とくん、とくん、と脈が伝わってくる。
 触れることはできるのだ。
 でも、姿が見えない。
 ロックオンは紅茶を飲み干すと、アレルヤの顔があるであろうあたりを眺め、両手で頬杖をついた。



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