ラブ・プール (*R18)



 パチャン……と、薄暗い部屋で音がする。
 アレルヤが照明を上げ、名前を呼ぶと、彼はすぐに水面に顔を出した。
「体調はどう?」
 伸びたブラウンの髪が、鎖骨にくるりと張りついていた。
 変わらない、真っ白な肌。碧蒼色の深く濡れた瞳。
 だがプールの縁を掴むその手は、皮のグローブではなく、銀碧色に反射する硬化した肌と爪で覆われていた。
「メシの時間?」
 すっかり冷たそうな印象になった外見とは裏腹に、ロックオンの声は変わらず、柔らかい。
「うん。食欲はあるかな?」
「魚、食いたい」
「あるよ。一度冷凍されたものだけれど」
 アレルヤが蓋を開けて見せると、ロックオンはすこし残念そうな表情をした。
「生じゃないのか……」
「うん。さすがにここでは生は無理だよ。でも今日はちゃんと冷ましてきたから」
 プールにかけられた脚立を登り、アレルヤがトレイを差し出す。
 カトラリーの類はない。刹那が調理した魚とじゃがいものシチューが入った大きなマグカップを爪先に引っ掛けて持つと、ロックオンは流し込むようにして食べた。
「また糸切り歯がそんなに伸びて……それに、とうとう耳までとんがっちゃったね」
「鏡見てないから、わかんねぇ」
 ロックオンが異変に気付いたのは、戦闘を終え、パイロットスーツを脱いで、シャワーを浴びたときだった。
 ふとした違和感に、久々にじっと自分の足を見つめた。そして、指のつけ根が繋がり始めていることに気が付いたのだ。その後も変化は止まらず、足の指は完全に硬い膜で繋がり、長く伸びた爪からはカーテンの様な薄い鰭が幾重にも生えて、靴が履けなくなった。
 足先から覆い始めた鱗は、数日で膝の上まで上がってきた。
 痛みがまったくないままに、時間と共に変わっていく自分の身体を、ロックオンはただじっと眺めるしかなかった。
 ドクターモレノの解析も終わらないうちに、手の指にも変化が現れた。長く伸びた硬い爪はどうにもできず、銃を握ることができなくなった。
 それだけではない。
 左右の肋骨の間に隙間ができて、医療カプセルの中で、ロックオンは窒息してしまったのだ。
 人でもなく、魚でもない。
 だが、鰓呼吸ということは、人魚でもない。
 最初の変化から二週間で、ロックオンは水の世界に入るしかなくなっていた。
 中が見える透明の器の中で自由に泳ぎまわるロックオンを、マイスターも、組織のメンバーも、呆然と見つめた。
 衣服が呼吸の妨げになるから、ロックオンは素裸だ。日ごと変化が進むその姿は、最早ツインテールの人魚にしか見えなかった。
 宇宙にいることが不思議なくらい、ロックオンは美しさは生々しい。艦の白いライトに深い碧色の鱗がキラキラと反射して、引き締まったウエストから張った腰、そこからすらりと伸びた長い脚、繊細な尾鰭までが、常に一筆書きのように大きな曲線を描く。
 だが、鑑賞をしている場合ではなく、誰よりもロックオンが一番それを理解しているのだろう、すぐにプールの奥に身を屈めた。
 見られることを嫌がり、プールの隅に衝立を作らせて、アレルヤとドクターモレノ以外からの呼びかけには、応じなくなった。ロックオンの存在は、衝立から溢れた長い尾鰭と、時折乱れる水音だけでしか、わからなくなった。
「モレノ先生からの伝言だけど……」
 ロックオンが話していられるのは一度に数分だ。口から水を吸い、胸から濾した後の水を出す。まるで魚のように呼吸をするロックオンは、プールの縁に手をかけたまま水中で体内に酸素を貯め、また顔を出した。
「あぁ、」
「なにを調べても前例がなくて、その」
「それはそうだろうな」
 銃が握れなくなってから、ロックオンは本当は気が短いことを、仲間にも隠さなくなっていた。
「その、人為的なものじゃないかって」
「人為的……?」
「細胞を変化させる遅効性ウイルスが見つかったって言ってた。ロックオンは後方支援が多いから、接近戦も少ない。特定もしやすかったって」
 空になったトレイを床に置き、アレルヤが裸になる。
 いつものことだ。どこでだって、すこしのスペースがあれば、セックスしてきた。
「ユニオンに、すごく頭の切れる科学者がいるんじゃないかって言ってたよ」
「───。あの、射撃の通じなかった黒いヤツか……」
「たぶんね。デュナメスの通気口が僅かに開いてたんだ。そこからウイルスが検出されたよ」
「なんてことない地上でのミッションだと思っていたが、迂闊だったな」
 プールはアレルヤでも足がつかない深さがあるが、ロックオンが最初に水の住人になったその日から、恐れることもなくアレルヤは水に入った。
 三分は、息を止めていられる。じっとしていれば、五分。
 ロックオンがもがいて、行為の途中で身体を繋いだまま一緒に沈んでしまっても、アレルヤの筋力があればロックオンごと水面まで上がることができる。
「浮いてられないのだけ、困るな」
「おれも、この姿になってからは、じっとしてると底まで沈んじまうようになった」
「鮫科になるのかな?」
「腹に浮き袋ができたらもう、ほんとに魚類だろ、おれ」
「すごく綺麗だけどね。でもやっぱり、困るな」
 ロックオンの身体の中は、表面とは違ってまだ柔らかく、温かかった。
 水の中で勃ったアレルヤを、硬い鱗で覆われた足を開いて、ロックオンは拒まず、すこし苦しげに受け入れる。
 そしてまた、プールの縁を手で掴んだまま、頭の先まで水に浸かって呼吸をした。
 水の中から、アレルヤは外から、互いを見つめる。
 ほんのすこしの、だが大きな壁。
 互いに違う生物へと離れていく感覚。
 アレルヤが水に顔をつけようとする前に、ロックオンが水から顔を上げた。
 まるで、お前はこっちに来るな、というようなタイミングに、アレルヤはちいさく微笑みかけた。
「痛くない?」
「あぁ……」
「中は、変わってないよ」
「そうか……」
 キスをすると、柔らかな舌が触れた。
 以前のような、濃いコーヒーやアルコール、強いミントの歯磨き粉ではなく、刹那の魚のシチューと、機械的な水の味がした。
 伸びて尖った歯は、ハレルヤの牙よりもずっと切れ味が良い。
「俎板の上のなんとやら、か。確かにこれじゃあもう、ガンダムにも乗れねぇし、何にもできねぇ。日がな一日泳いでメシ食って、この板がなきゃプライバシーもねぇ。何もかも垂れ流しで、数時間ごとに体液を抜かれて」
「ロックオン、そんな言い方しないで」
「どうしようなぁ、そのうち頭の中まで魚になって、ここにいる意味どころか、お前のこともわからなくなっちまったら……」
 このまま本当に水の中でしか生きられなくなってしまったら、宇宙には置いておけない。ロックオンが嫌がっても、地上に放した方が良いのだろう。待機島になら豊かな海がある。地上に降りれば、アレルヤも逢える。
「大きい魚って、どのくらい認識力があるのかな? ロックオンが本当にそうなっちゃっても、ぼくはずっとこうしていられるような気がするよ」
「お前はそういうとこ器がデカイよな。すげぇよほんと」
 最初にロックオンの鱗に触れたのも、アレルヤだ。ドクターでさえ驚いて一瞬引いた足の甲に、アレルヤは容易く、極自然に口唇を押し当て、頬をすり寄せた。鱗を逆撫でするかたちになったアレルヤの頬には、ちいさな切り傷が無数にできた。
 アレルヤが強く突き上げる度に、長い尾ひれが揺らぐ。
 癖のある髪が、動きとは逆の方向に靡く。
 アレルヤとキスをし、苦しくなると、水に潜って酸素を貯め直す。
 水中には、高濃度の酸素が溶け込ませてある。ロックオンの呼吸を助けるためだ。
 それでも、アレルヤに抱かれるロックオンは、ひどく苦しげに息をした。左右の肋骨の隙間から、極細かな泡が大量に、激しく幾度も噴き出した。
 そのうちに、水から顔を出すことはできなくなり、完全に水の中でアレルヤを受け止め、ちいさく勃ったピンク色の突起から自らも射精をするのだ。
 ロックオンのすっかり変わってしまったペニスを手探りでそっと撫でると、アレルヤは周囲を覆いつくしている大量の気泡が治まるのを待ち、ロックオンの呼吸が落ち着いていくのをじっと待った。
 プールの縁や、プールの内壁にある足場のパイプにロックオンを掴まらせて、前から後ろから、アレルヤは毎日ロックオンを抱く。必ず、途中からロックオンは息がもたなくなり、追いかけて潜ってくるアレルヤの顔を、傷つけないように手の平で押し返した。
「大丈夫?」
 吐き出される気泡の量が少なくなり、鰓がゆっくりと開閉するようになってから、アレルヤはロックオンの頭を水上へと持ち上げた。
 プールでセックスをするようになってから、ロックオンの喘ぎ声の殆どは大量の水に溶け、アレルヤには聞くことができなくなった。
「はは、まだ繋がってる……お前と」
「うん」
「なぁ、アレルヤ。もしこのまま本当に魚になっちまったらさ」
 アレルヤの濡れた前髪を爪先でひょいと上げて、ロックオンは泣きそうに笑う。
「おれを、キュリオスに乗せてくれ」
「キュリオスに?」
「あぁ。鱗でも、しっぽの先でもいい。お前と一緒に連れて行ってくれ。肉は食ってかまわねぇよ、あんまり美味くねぇだろうけど」
「非常食にするよ」
 あっさりと微笑み返したアレルヤに一瞬驚いて目を見開き、それからロックオンは両腕でアレルヤに抱きついた。
 そうだ。食べてもらえるなら幸せだ。アレルヤになら、すべてをやっても良い。
「あぁ、そうしてくれ。塩漬けでも燻製でも、お前にまかせる。ただし、燻製にする場合は天然の葉でやってくれよ」
「うん、ロックオンが好きな木の葉でするよ」
「保存は缶詰じゃなく、真空パックで頼むな」
「もちろん。真空パックなら、いつでもロックオンが見えて安心だからね」
「お前は容赦ねぇなぁ」
「鱗は全部、キュリオスのシートに貼るよ」
「そりゃ豪華だな」
「オシリが擦り剥けそうだけど」
「向きを考えないとな」
「ハレルヤに文句を言われないようにしないとね」
「怒るだろうな、アイツ……」
「すごく怒るね、絶対」
 ロックオンは可能な限り力強くアレルヤを抱きしめると、アレルヤの耳の後ろに何度も口唇で触れた。
「地上に独り、置いていかないでくれよ……ここにいたいんだ、お前とここに」
「牙も爪も、なにもかも、ぼくの手元に置くよ。だから心配しないで」
「お前が捌いてくれよ」
「それもまかせて。綺麗に三枚に……違うね、何枚だろう? でも、綺麗に捌いてあげるから」
「そうか、お前、料理得意だったもんな」
「味付けは不評だけどね」
「はは、そうだったな……」
「誰も見ていないところで、ぼくがそぅっと捌いて、一欠けらも残さないから。安心して」
 にっこりと笑うアレルヤに、ロックオンは息継ぎをする振りをして、瞳を熱く覆ったものをプールの水で流した。
 素直には言い出せるはずもない。水の中にひとり、置いていかれてしまうのだけは、どうしても恐かった。
「ここ、また舐めてもイイ?」
 アレルヤの暖かい手が、ロックオンの敏感な部分に触れる。
「待てって! 勃たなきゃ、鱗でお前を傷つけちまう……」
「大丈夫だよ、もう勃ってる」
 周囲より細かい鱗の隙間から、ピンク色をした硬い肉がのぞいているのを、水越しでもアレルヤは見逃さなかった。
 ロックオンを全身水に浸けて、下腹だけを水面に出す。
 そこをそっと舌先でなぞるだけで、ロックオンの身体は跳ねた。
「ちっちゃくて、かわいいな」
 下半身は、鱗に覆われると同時に、人間の形を無くしてしまった。陰毛はすべて抜け落ちて、睾丸も陰茎も体内に吸収されるかのように小さくなっていき、細かい鱗の隙間へと姿を潜めた。
 外から確認できるのは、ロックオンが興奮したときにだけ現れる小さなピンク色の肉の突起だけだ。
 そこはペニスと同じでひどく敏感で、感じるとさらに硬く膨らみを帯び、白い液体をほんの少量だけ洩らした。精液を分析したモレノはそのDNA構造にひどく興味深げだったが、アレルヤには成分などどうでも良いことだった。
 舌先にやっと乗る程度しか量の出ないそれを、アレルヤは丁寧に舐めとって、再び呼吸を乱したロックオンの胸から吐き出される大量の泡が治まるのを待つ。
「今日はぼく、ここにいるよ。ロックオンが眠るの、見てる」
「何言ってんだ……その間にハレルヤになっちまったら、おれはどうなる」
「そのときは、ハレルヤを水の世界へ」
 照明を落とせば、水の中はロックオンだけの場所になる。
 言い返そうとするロックオンを制し、プールサイドに濡れたリモコンを置くと、アレルヤはゆっくりと強く、ロックオンを抱き寄せた。



(とある夜[2] ラブ・プール)


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