ヴェネツィア -2- (RE:004002/*R18)



 窓際のテーブルで、白いシャツだけを着て、とりあえずボタンだけはいくつか留めた格好で。
 ハインリヒが作った、唐辛子がたっぷり乗ったアサリのパスタとサラダを食べている間中、シャツの裾から伸びたジェットの長い裸の足はフラフラと揺れていて、ハインリヒは何度か手を触れて、それをちいさく嗜めた。
「食事のときくらい、じっとしていられないのか」
「だるいんだ……」
 ジェットはどこか不機嫌だ。無茶な抱き方をしたことを解かっているハインリヒは、それ以上は叱らなかった。
 考えてみれば、今ここにいるジェットは、男とのセックスなど初めてだったのではないだろうか? つい過去の記憶から、彼は経験済みかのように振る舞ってしまったが、ここにいる彼は生身で、それも初々しいからだをしている。
 ジェットの初めてを二度もらったことはなんだか嬉しかったが、確かにもうすこし優しく抱くべきだったかと、ワイングラスを回しながらハインリヒは考え込んだ。
 アサリの旨味が染み出したオリーブオイルの香りを、ジェットは気に入ったらしい。腹をすかせた生身のジェットが食べる分量がわからないから、ハインリヒは袋に「NET1kg」と表記されたパスタをとりあえずは全部使って調理をしたが、大皿は空になった。
 ジェットがフォークを置くと、ハインリヒはジェットのグラスに白ワインを注ぎ足した。
「足りたか?」
「うん。アンタ、料理の腕鈍ってないな」
「お褒めにあずかり光栄だな」
 オイルの拭いきれていないジェットの口唇が、妙に艶やかだ。
 指先で器用にフォークを扱い、啜る音一つたてずに、ジェットは食事をした。昔、並べられたカトラリーを外側から順に使うことさえ知らなかった頃に比べると、ジェットはずいぶんエレガントに振る舞える成人男性に育ったと思う。ソースが絡んだパスタが、柔らかな口唇に次々と吸い込まれては、咀嚼され咽喉を通っていく様は、どこか性的な妄想をさせ、見ていて飽きなかった。
 光にあたって金色に輝く長い前髪が幾筋か、額に薄い影を作っている。
 白ワインのグラスを傾けながら、ジェットが投げ出していた脚を組み直した。テーブルの上では上等なマナーでも、テーブルの下の行儀は悪いまま。クロスがかけられた席なら、紳士にしか見えないだろうに。
 ハインリヒは、思いがけずも微笑んだ。
「アサリなんてよくあったな」
「冷凍ものだ。棚や冷蔵庫を確認したが、材料が揃っていて助かった。キッチンの使い勝手も悪くない」
「? だってここ、アンタんちなんだろ?」
「まぁそうだ」
 訝しむジェットの眉間の皺が深くなる。
「そろそろ、散歩に行くか。歩けそうか?」
 ハインリヒが皮の手袋をはめると、ジェットも素直に、ノロノロとではあるが、席を立った。サイボーグだったときよりも、体重がかなりライトなはずの躯は、ひどく重かった。
 生身であれば、傷つけば自力で治そうとする。疲れても、眠れば回復する。それが却って、今のジェットには負担に感じられた。
「だるいか。やめておくか?」
「いや、行くよ。でもスーツで散歩は窮屈だな」
 靴も、ビジネススーツに合わせた黒の革靴しかない。
 壁際のクローゼットを試しに開けてみれば、ジェットに合いそうな服がいくつか掛かっていた。ジェットはハインリヒに一応背を向けると、カーキ色のチノに足を通し、シャツを脱いでTシャツに着替えた。
 襟付きの白いシャツが丸首のTシャツになっただけで、ジェットのすこし粗野な部分が、首筋や背筋から起ちのぼった。
「ピンクか。可愛いな。お前は意外とそういうパステルカラーが似合う」
「似合うって言いながら、なんで笑ってんだオッサン」
 足許には、程好くなめされた皮のサンダルをつっかけ。
 ジェットが振り返ると、ハインリヒが左手を差し伸べてくれていた。


 ラフな服装で、髪を適当に手櫛でかきあげただけのジェットが外で陽を浴びると、驚いた様子で道端にいた鳩が飛び立った。
「……別に捕って食やしねぇよ」
 飛ぶことを知っているのに、飛べない今のからだ。
 なんだか、さみしいと感じた。
 アメリカ政府の犬になると決めて27年目。機関で書類を作成するにあたり生年月日の提出を求められ、政府に属した年を生まれ年にした。初めの頃は、データ上の年齢と外見年齢がまったく折り合わないことに首を傾げられることもあったが、ジェットがサイボーグだと知っている職員たちは、ジェットの誕生日などには誰も関心を示さず、“いつからサイボーグなのか”という方が重要なようだった。
 行き届いたメンテナンスの上に成り立つ職務をこなせてこそ、ジェットには存在価値がある。新しいパーツが正常に機能を発揮していることにおめでとうと言われることはあっても、ジェットが生まれたことに対する祝福の声は、一切なかった。
 ジェットはふと、脇を流れる運河に足を踏み出した。
 水面がキラキラと乱反射するせいで、水深がどのくらいあるのかはっきりとはわからないが、少なくとも1メートルは下らないだろう。
「三途の川って、こんな感じか?」
 水は、サンダルの縁までは濡らすが、足にはかからない。
 サンダルの皮ごしに、水の流れを感じた。足の下を、穏やかな波が通っていく。だが足踏みしてみれば、僅かな飛沫が上がるだけで、そこに“地面”がある。
 水以外に、何か流れているものがあるのだろうか。時間か、想いか、罪か。
 いつ、この“地面”が消えて、水の底へ沈むか。ジェットは不思議と不安の入り混じった表情で、足元を見つめ、水の流れていく方向を眺めた。
「どうかしたか?」
「こういうのをさ、昔、アイツから聞かされたことがあったよ。三途の川っていうそうだ」
「サンズノカワ?」
「日本の考え方では、これってそういうことなんじゃないのか?」
 船に乗って水を渡ってきた、グレート。ピュンマは泳げたのかもしれない。フランソワーズは009が休んでいる家をセーフハウスだと言って、水の上を渡って入っていった。
「俺には良くわからないが。それは、この国にもあるのか?」
「わかんねぇけど……。でも、オレは三途の川の上に、いや、海だったっけ? そんなところでぼんやり座ってたのかと思うとさ」
「まぁそれも、お前らしいけどな」
 一つだけ置いてあった椅子は、なんだったのだろう。
 ジェットはいつも、楽に生きられない方を選ぶ。もっと力を抜いてもいいだろうとハインリヒは思うのだが、ジェットの志の高さと気性の激しさが、それを許さない。
 だが、27年間は長すぎた。毎日鏡で見ていても、からだは一年前とほぼ変わらず、歳をとらない。が、脳は、心は、違う。
 ジェットの気高さに傷をつけるようなことをしたくなくて、ハインリヒはジェットをドイツへ呼ぶことも、自分がアメリカへ行くことも、考えないようにしてきたが、実際にジェットを目の前にしてみると、それは間違いだったのかもしれないと、ほんのすこしだけ思う。
「あそこにどれくらいの時間、座ってたんだ?」
「わかんねぇ。数分だったのかもしれないし、数日経ってたかもしれない。景色やなにを考えていたのかは憶えてるけど。あと、朝か昼かは判断できなかったけど、ずっと明るかったことだけは憶えてる」
「そうか」
「すごく、静かでさ……。誰の声もしないんだ。ほんとは途方にくれてたよ。誰かいないのか、アイツはどうしたのか、アンタはこの世界にはいないのか。街の方から、誰か迎えに来てはくれないかと、ずっと待ってた」
 ポケットから、ジェットが煙草を取り出した。
 瞬間、ハインリヒの背筋に氷のようなものが伝い上がる感覚が走った。
「ジェット! こっちに来い!」
 ジェットの腕を掴み、強い力で引き寄せる。ジェットは手から煙草の箱が滑り落ちそうになるのを、咄嗟に手を握ることで止めた。
 箱の面が大きく折れて、くしゃ、と中身が潰れる感覚が手に伝わってきた気はするが、ハインリヒの勢いに圧倒されて、音は聞こえなかった。
「アル?」
「もう水に近づくな!」
「なんだよ、急にそんな」
「水に近づくな!」
 ハインリヒが声を荒げたのを、久しぶりに聴いた。
「アンタ今、すげぇ、コワイ顔してる……」
 まん丸に見開いた目でジェットに見つめられ、ハインリヒは目を反らした。
「……そうだろうな」
「なんで?」
「わからん」
 オレの方がわからないのに、という顔に気がついたのか、ハインリヒはジェットの頭にポンと左手を置くと、溜息に似た吐息をひとつついた。
「驚いたのか?」
「うん」
 素直に返事をしたジェットが、可愛くてたまらない。
 長い指の間から潰れた煙草の箱をとると、ハインリヒは暖かいからだをゆっくりと抱き寄せた。
「悪かった」
「アル……」
 白い両腕が柔らかく、ハインリヒの背に回った。
「大丈夫だよ。本当に三途の川だったら、向こう岸でばあちゃんが手を振ってるはずだもん」
「ジェット」
「うん」
「とにかく、これからは絶対に水に近づくな」
「……うん、アルがそこまで必死になるなら、そうするよ」
「いい子だな」
 ハインリヒが優しく頭を撫でると、ジェットは嬉しそうに、額をハインリヒの肩にこすりつけた。


 ハインリヒがふと目を覚ますと、腕の中にジェットがいなかった。
 部屋が暗い。窓の方向を見ると、いつの間にか夜になったようだった。ガラス越しでも、降ってきそうなほどたくさんの星が確認でき、そして、窓辺にあるテーブルに、見慣れた影があった。
「ジェット? どうした」
「───なんでもない、変な夢を見ただけだ……」
 呼吸が乱れている。
 ジェットは、ひどく汗をかいているようだった。
「大丈夫か? 温かいものでも飲むか?」
「いい。……ちょっと出てくる」
 テーブルに手をかけて、ジェットが立ち上がる。
「おい、夜中だぞ? こんな時間に外を出歩くな」
「ほっといてくれ」
 ハインリヒは慌ててベッドの反対側から降りると、裸足のまま出て行こうとするジェットをドアの寸前で止めた。ハインリヒの腕一本で身動きがとれなくなったことに気付いたジェットは、歯を食い縛って身を捩った。
「離せ……!」
「落ち着けって!」
「また、すんのかよ……っ!」
「ジェット!」
 強く抱きしめられ、優しく頭を撫でられる。
 ジェットの脚がかくんと力を失った。
「したくないなら、しないさ。俺はそこまでサディストじゃない」
 ジェットに全部、吐き出させてしまいたい。もっと大きな、ジェットが幸せを感じるなにかで、上書きしてやりたい。
 ジェットを手の平で宥めながらベッドに寝かせ、ハインリヒが黙っていると、おずおずと、白い指先が遠慮がちにハインリヒの頬に伸びた。
「嘘だよ……」
 ジェットの声は、微かに震えていた。
「抱いてよ、アル…、アルベルト……」
 ハインリヒの手をとると、ジェットは自分の脇腹を慣れない手つきで撫でさせた。すべらかな肌。程好い筋肉と、肋骨と。
「そんなに嫌な夢だったのか」
 ジェットが欲しがるまま、ハインリヒが何度もそこを撫でてやっていると、ジェットは自らを嘲笑うように口唇の端を上げた。
「アンタも見ただろ? オレの、トリガラみたいな構造」
「それはお前自身のボディのことか。天使みたいな、の間違いだろう?」
「天使?」
「俺にはそう見えてた」
「モニターを通してだろ? それも遠目でさ。本当は軽量化のために、あちこち穴だらけだったんだぜ? 隙間風がひどくってさ」
「お前は行いも姿も、美しかった。俺なんかよりずっと、世界のために働いていたじゃないか」
「そんなの、嘘だ……! オレはどこかで逃げてたんだ、いつだってオレには届かないアイツの傍にいるのが恐かった!」
 ジェットが突然激昂し、ハインリヒは驚いたように瞬きをして、ジェットを見つめた。
「ジェット、お前は間違ってない」
「もし人食い人種とかがオレを捕まえて食おうとしたって、オレじゃ出汁もとれねぇよ……!」
「ジェット、」
「知らない連中に、身体の隅々まで知られて……ッ! メンテナンスのためだって、また改造されて…っ、アイツがつけてくれたパーツも、棄てられたんだぞ!?」
 蒼い瞳は見開かれ、焦点が合っていなかった。
 ジェットを撫で続けているハインリヒの手に、知らずに力が篭もった。
「オレのために開発してくれたのに、オレはくだらない忠誠心のために、それをあっさり棄ててみせなきゃならなかったんだッ!! オレの改造をしたのは、戦闘機の開発チームだ! サイボーグの技術者じゃなかったんだよ……!!」
「ジェット、ジェット!」
 ギルモア博士が作るものは、すべてが最高級品だ。たった一人のために、たった一つのパーツを時間をかけて開発し、可能な限り心とからだのバランスがとれるように、すこしでも良く生きられるようにと、常に考えてくれていた。
 すべてが、サイボーグとはいえ、ひとりの人間を活かし生かすためのもの。
 それをアメリカでは、メンテナンスが難しいから、扱いにくいからと理由をつけられては、何度も改造を許さなければならなかった。お前の祖国のため、世界の平和のためだと言われれば、ジェットは逆らえなかった。
 身体は技術担当者が替わるたびに、替えられていった。ひとりの人間ではなく、一機の“飛ぶ機械”へと。さらに高く、強く、空へ。アメリカのために、コストパフォーマンスにも優れた道具になれと。
 それでも、ジェットはかまわなかったのだ。祖国に本心から失望してしまった、あの瞬間までは。
「なんなんだよ……ッ! 畜生……ッ!!!」
「ジェット!」
 興奮のあまり震えの止まらないジェットを、ハインリヒはベッドに強く押さえ込んだ。
「!? やだ! やめろっ、さわんなよッ!!」
「どこをいじられたんだ!? 言ってみろ!」
「イヤだ!!!」
「ジェット!!」
「ぅ……、ひ、ぅ……」
「言え。どこだ?」
 ジェットの指先が、首筋から下に向かって、身体の表面をなぞりながら降りていく。此処と、此処、それから此処も。
 ハインリヒはそれを最後までじっと眼で追うと、示し終わったジェットの指先を優しく握り、口唇を寄せた。
「わかった。じっとしてろ」
 ハインリヒが、傷口をなぞり降りていく。口唇が優しく薄皮を喰み、舌先が慰めるように、舌全体が穢れを根こそぎ剥いでいくかのように皮膚を舐め回し、歯が一瞬鋭く肉に突き立てられて、これで綺麗になったというように、何度も口づけをされ。
 ジェットの両手が、シーツを掴んだ。
 ハインリヒの腰を挟んでいた両脚が引き攣るように持ち上がり、足の指が五本とも開く。
「ん、ん、んっ…ふ、……」
 ジェットにとっては痛みを伴う行為なのだろう。長い睫は濡れていた。
 GSG9でのハインリヒには、少しは可愛いと思える後輩がいたし、気楽に飲みに行ける友人もいた。009も辛い27年を送ったとは思うが、傍らにはいつも必ず003がいた。
 本当の孤独の中で、終わりの見えない戦いを続けていたのは、ジェットだけだ。
 世間にも、自分自身にさえ、嘘ばかりをついて生きなければならない自分たちにとって、サイボーグであることをわかりあえる仲間は、どうしたって必要不可欠だ。
 極秘任務についているとはいえ、たまには逢いにいってやればよかった。それが無理でも、連絡くらい、せめて誕生日を祝うことくらい、してやればよかった。ジェットの立場が危うくなるのを危惧して、結局、長い長い時間、ジェットをほったらかしにした。便りがないのは元気な証拠、うまくやっているのだと、勝手な思いこみをして。
「アル! アルッ、あっ、ァアッ」
 脚の付け根を強く吸ってやると、ジェットは自分では気づかないままに、弱々しく吐精をした。
「いい子だな、ジェット」
 薄い精液を舐めとってやりながら、ハインリヒはジェットの薄く柔らかな陰毛を左の指先でそっと梳き、右手で足の裏を確認した。
「お前はどこもいじられてなんかない。穢されていない。全部、綺麗なままじゃないか」
「嘘……だ」
「嘘じゃない。お前はお前のままじゃないか」
「アイツより、強くなりたかった……。オレは必要とされたかったんだ……」
「わかってる」
 ハインリヒの口唇が、舌が、歯が、ジェットの大腿から膝、臑をなぞり、足首から足の甲、足の裏まで降りていく。
 足の指を一本一本口に含み、指の間まで丁寧に舐め回し、土踏まずと踵を吸い口唇で長い時間愛撫をすると、今度はジェットをうつ伏せにして、脹ら脛から膝裏、臀部を通り、脇腹から肩胛骨、耳の後ろまで上っていった。
「ほら、綺麗になったぞ。忘れているところはないか?」
 耳朶に口づけをして囁いてやると、ジェットは質問には応えられないまま、泣き顔でハインリヒを振り返り、腰を持ち上げようとした。
「来て……、来て、アル……」
「わかった。すぐ戻る、ちょっと待ってろ」
「アル……?」
「大丈夫だ、どこにも行かない。待っていられるな?」
 ジェットの後頭部をくしゃくしゃと撫でてから、ハインリヒはベッドから降りた。
 窓際のテーブルで、シャツの右半身だけを脱ぎ、右手のグローブを外し。親指を左手で握り、本来なら曲がらない筈の方向へ押し上げると、肘が開き、マシンガンの弾帯が次々と、滑るように抜け落ちた。次に二の腕にある金具を立ち上げ引くと、脇腹が開いて、さらに数多くの弾帯が弾けるように飛び出した。
 しんとした部屋を、テーブルに金属の塊が幾つも幾つも転がり落ちる重い音が空気を裂くように響き、反射的にジェットは上体を起こした。
「なに、してんの……?」
「もうすこしだけ、待ってろ」
 ハインリヒはグローブも弾帯もテーブルに置いたまま、シャツだけを直すと、キッチンへと消え、ジェットの耳から音の余韻が消えないうちにまた、戻ってきた。
「悪かったな」
 弾帯の山の一角をテーブルから適当に手掴みしてベッドサイドに置くと、ハインリヒはジェットの脇に腰を下ろした。
「ほら、もう安全だ。触ってみろ」
 左手に持つ容器にあるものを親指で掬って、ハインリヒが右親指をジェットの口許へ近づける。
「興奮したお前はうっかり安全装置を外しかねないからな。こっちの手はなるべく触らせないようにしてたんだが」
「? アル……?」
「本当はショコラを淹れようと思ってたんだがな」
 開いたジェットの口に、ハインリヒが親指を滑り込ませた。
 ジェットは一瞬困惑したかのように瞬きをしたが、すぐに口を窄めた。
「……ん、……ん、」
「気に入ったか?」
 ハインリヒの右手を両手で持って、ジェットは夢中で親指を舐める。その柔らかい舌の感触は、残念ながら右の親指で感じることはできなかったが、ジェットのそんな姿を見られるだけで、ハインリヒは充分だった。
 身体をいじられた回数は、ジェットが群を抜いて多い。初期被献体ということもあるが、飛行という能力は、やはり特別だった。常に体内に諸刃の剣を抱えているようなものだ。常日頃からメンテナンスに微調整が欠かせず、部品の消耗も激しく、新しい改造案が出されればまた、躰を開けられる。
 改造に、本当は慣れなどない。毎回、諦めに似た、昇華できない怒りと共に、手術台に上がる。だが、ギルモア博士とジョーが施す手術を、ジェットはある時から恐がらなくなっていた。強い信頼関係があるからこそと、ハインリヒは感じていた。
 ハインリヒは、009は知らないジェットを知っている。不安定で、いつも強気で臨む手術も、本当は裏では恐がっている、ジェットを。
 だが、こんなジェットは見たことがなかった。夢中でハインリヒの指を口に含み、すこしでも離れる仕草を見せようものなら、いやだ、いやだと縋りついてくる。
「──お前はお前なりに、大切に思ってたんだな」
 博士と009が作ってくれたボディを。
「俺にもお前が必要だよ、ジェット」
 陰部にもチョコレートを塗り、ハインリヒはゆっくりと、ジェットを貫いた。
 後ろから。
 ジェットの引き攣った長い吐息が、シーツに吸い込まれた。
「すこしきついな……? 我慢できるか?」
 右手はジェットが両手で握りしめ、その親指はジェットの口に入ったまま。左手だけでジェットの腰を支えて、ハインリヒの腰がゆっくりと前後に動き出す。
「ん、……んんっ」
「もう濡れてきた……。いやらしいな、ジェット。痛くはないか?」
 返事をするかのように、ジェットの口が強くハインリヒの指に吸いつき、ハインリヒは微笑んだ。


「アル……、あれも……あれも、欲しい」
「お前、何を言ってるんだ」
「入れて、あれも……」
 ベッドサイドへ手を伸ばし、這い上がろうとするジェットを、ハインリヒは何度も引き戻した。
 そこに弾帯を置いたのは、ジェットに入れるためではない。万が一のときに備えてのことだ。ジェットには今、戦う武器がなにもない。柔らかな肉体は、簡単に異物を通す。ハインリヒが守ってやらなければ、ジェットは攻撃どころか防御さえままならない。
「欲しい、アル、」
「弾は駄目だ。何のために抜いたと思ってる」
「じゃあ、ココ……ココもっと」
「どうしちまったんだ、ジェット……」
 宥めようとしたが、ハインリヒはジェットが指している場所に、言葉を飲み込んだ。
 完全飛行形態のジェットは、胸部が開いていた。もう長いこと、そこは人間の胸ではなく、飛行のためのパーツだった。男性にとっては特になくても良いかのように思うものも、本当になくなってしまえば、違和感と喪失感を覚えるのだ。
 強請られるままに、ハインリヒはジェットの胸を揉み、乳首を捻り上げてやった。
「アッ、アッ」
「もっとか?」
「もっと」
 自分で予想していたよりも強く、感じてしまうのだろう。ジェットの口唇の端から、唾液がこぼれ落ちた。
「好きなだけ、してやる。だからそんなに焦るな。俺は此処にいるだろう?」
「もっと、もっと! アル……ッ!!」
 美しい背中が、ハインリヒの真下でうねるように息づいている。
 ハインリヒはジェットの左肩甲骨に、口唇を寄せると、手加減せずに勢い良く吸い上げ、歯をたてた。
「!! ぅあっ!! アッ、アァア……ッ!」
 張り詰めたペニスを咥え込んでいる場所が、じゅん、と濡れた。それを知ると、ハインリヒはジェットの頸を掴み、シーツに強く押しつけた。
「これか? まだ右が残ってるな。こっちにもしてやろうか?」
「ァ…ッ、はぅ……」
「気持ちいいんだろう?」
「イ…ィ……。ぁ、アル……こっち、こっちも……」
 身を捩り、ジェットが胸を向けようとするのをやんわりと制し、ハインリヒは右の肩胛骨にも強く歯をたてた。
 ハインリヒの口の中に、うっすらとジェットの血の味が広がった。
「まったく、参ったな……」
 白い背中に、翼がちぎられたかのような、真っ赤な歯形とキスマークをいくつも散らせて。
 突き上げられ、かき回されるままに、ジェットの咽喉からは嬌声があがっている。
 美しいうなじから背中に浮かんだ汗が、わずかな光源で浮かび上がり。大腿から膝まででは間に合わず、ハインリヒの服まで愛液でぐっしょりと濡らして。
 ハインリヒはジェットを後ろから抱え上げると、中は可愛がり続けるまま、ジェットの首筋にゆっくりと、左手の指をかけた。


 乱れたシーツを気にもしていない様子で、ジェットが大の字になって寝ている。開け放った窓から入る風が前髪を優しく梳いて、その度に反射する髪に細い金色の光がキラキラと踊っていた。
「まったく。気持ち良さそうだな」
 空が白み始め、満天の星が見えなくなった頃。
 縋りついてくるジェットを、これ以上は無理だと宥め叱り、風呂に入れた。
 ハインリヒがさんざん擦りあげたそこからは、血が滲み始め、乳首やそこ此処は紅く晴れ上がっていた。つい悪い癖が出て手をかけてしまった首筋には、指の痕が五本とも残り、紫色になり始めていた。
 ハインリヒの左手には、ジェットの咽喉の感触が生々しく残っていた。ゆっくりと絞めていくと、始めは苦しそうに息をしようとしているが、そのうちに呼吸を忘れ、からだがつながっているところだけに意識が集中する。絶頂までを充分に味あわせたところで指を弛めてやると、ようやく動けるようになったかたちの良い喉仏が何度も上下して、ハインリヒの名前を切れ切れに発し。熱い喉許から左手を通して響いてくる、荒れた呼吸と自分を呼ぶジェットの声に、ハインリヒは悦びで奮えた。
 躰だけでなく、ジェットは脳で存分に感じ、ハインリヒを憶え直しただろう。
 拒まないから、生身の身体の限界まで抱いた。
 触れられただけで、身体は痛むはずだ。首を絞められる恐怖も、刷り込まれたはずだった。なのに、ジェットはそれでももっとと言って聞かなかった。
 窓が小さく灯りどりのないバスルームは、ベッドの上よりもずっと暗かったが、アメリカの機関での手術室を思い出すのか、ジェットはハインリヒにライトをつけさせなかった。
 長身の躯を、湯を張ったバスタブにやっと浸からせ、生身で入る風呂の心地良さを教えてやろうとしても、ジェットはハインリヒの首筋から両腕を解こうとはせず、ハインリヒがシャンプーに手を伸ばしたり、スポンジを泡立てたりするたびに、さらに強くしがみつこうとして取り乱した。そのたびに、ハインリヒは何度も強く優しく口吸いをしながら、ジェットの髪を洗い、躯を洗い流し。堅い皮膚でジェットを傷つけないようにと服を着たままだったハインリヒは、滴るほどに全身がずぶ濡れになった。
 やっとジェットを洗い終わり、水気を拭ってベッドに戻ったときには、水平線から顔を覗かせた朝陽が、長い光の筋を部屋の中央にまで伸ばしていた。
 シーツを取り替えたくても、取り替えさせてくれない。ベッドが濡れるから着替えさせろと言っても、ジェットはハインリヒにしがみついたまま離れようとしない。
 ハインリヒはジェットを乾いたバスタオルで包むと、力を入れすぎて冷たくなった右手をしっかりと握り返し、自分の方を向くように横向きに寝かせた。それから、ジェットが落ち着くまで、背中をトン、トンと、優しく叩き続けてやった。
 ジェットがようやく、ふかふかと穏やかな寝息をたて始め、シャツの裾から左手を離してくれると、ハインリヒの口からは思わず大きな溜め息が洩れた。
 手がかかりすぎだろう。こんなジェットは初めてだった。
 ジェットの乱れ様は、ハインリヒの予想を遙かに上回るものだった。
 今のジェットは、ハインリヒがぞんざいに扱うには脆すぎた。
 からだも、こころも。
「辛いとも寂しいとも、お前は誰にも言えなかったんだろうな?」
 ハインリヒの視線が、求められるままに傷をつけたジェットの肌を追う。
 長い手足。ジェットが眠ってから着せたシャツは、とめたはずのボタンが全開で、左の乳首が見えている。
 ハインリヒは、その小さな乳輪をなぞるように、人差指でそっと円を描いた。
 そっと、ゆっくりと、うつ伏せにする。
 良い眺めだった。柔らかな陽の光に、ジェットのからだは滑らかな影を作り、丸みを帯びた腰のラインが強調されて、ハインリヒの目を楽しませる。
「───なぁ、」
「んん?」
「なにしてんの?」
 太股の内側を、ハインリヒの手が揉みしだいていた。
「人間ってぇのは、綺麗だなと思ってな」
「くすぐってぇって」
「俺が絵描きだったら、絶対お前を描いてる」
 何枚も何枚も。描き洩らしがないか確認しながら、ジェットの裸図を描くだろう。
 ジェットは、ハインリヒの手を掃おうとはしなかった。
 人の手とは違う、硬く重い、痛いようなハインリヒの手が、ジェットは好きだった。皮膚を撫で擦り、時おり肉を持っていかれそうになる錯覚が、背筋を上がる。自分は生きているのだと、実感する。
 ハインリヒの手を太股に挟んだまま、ジェットは体勢を変えると、ハインリヒの脚を枕に仰向けになった。
「どうした? 腹がへったか?」
「それもあるけど」
「一体、食ったものはどうなってるんだ」
「決まってるじゃん。アンタとのセックスで消費してるんだろ?」
 甘えるように、ジェットがハインリヒの頭を両手でかき抱く。
 昨夜、ハインリヒが風呂に入れてくれたことを覚えている。あちこちを水浸しにして、いやだいやだとしか言わなかったような気がするが、ハインリヒはジェットを投げ出したりしなかった。
 その後でハインリヒも風呂に入ったのだろう。ジェットが暴れた後始末をして。
 ハインリヒの髪から自分と同じシャンプーの匂いがするのに気付き、ジェットはスンスンと鼻を鳴らした。
「アンタ、意外とアタマ絶壁なんだな」
「……うるさいぞ」
 ジェットに後頭部を撫でられたハインリヒは、珍しく、恥ずかしそうな顔をした。
「なぁ、アル」
「うん?」
「もっと、さわって」
「こうか?」
「うん」
 手袋をしていないハインリヒの両手が、髪を梳き、頬を撫でる。ジェットは気持ち良さそうに、瞼をとろとろとさせ、ハインリヒの名前を何度も呼んだ。
 首を絞められながらのセックスを、簡単に受け入れていた自分。
 ハインリヒのペニスが杭のようにからだの奥まで刺さり自由を奪われ、突き上げられるたびに徐々にハインリヒの指の力が強くなっていき、すぐにハインリヒのことしかわからなくなり。そして絶頂のたびに指が弱められ、ジェットは咽喉を鳴らして、何度も何度も腹の奥底でハインリヒを絞めあげ味わった。
 ハインリヒとのセックスは、なにも考えられなくなる。自分がまだそんな風になれることが、ジェットは嬉しかった。
「アル」
「なんだ?」
「オレ、本を読もうと思うんだ」
 この部屋に大きな本棚があることに、ジェットは気づいていた。
「いつの間にか、読まなくなってた。いつもポケットに入れてたくらいだったのにさ」
 NSAでは、情報を自分で仕入れる習慣も失くしていた。上司の言葉を鵜呑みにし、一方的な命令をこなすだけで一日が終わった。もっと早くに、VOID以外からの機密情報も得るべきだったのだ。
 祖国のために働くのと、飼い慣らされるのとでは、大きく違う。
 脳をいじられた記憶はないが、そんなことさえ見失い、振り回された。
「そりゃあいいな。何から読むんだ?」
「ぁ~。とりあえずは、スマートフォンの取説から?」
「そうか。メーカーはどれにするんだ?」
「……。ツッコめよ」
 アナログなハインリヒには縁がない道具だ。テロも戦争もIT技術で半分以上が成り立つような時代になってはいるが、そういったことは若い連中に任せて、相変わらず自分は火薬と触れ合っている。
 ジェットの背中を両手で抱きながら、ハインリヒは声を殺して笑った。


「喉が乾いているだろう?」
 ハインリヒが運んできたトレイには、ビールの瓶とグラス、それに、ジェットが昔好きだったスナック菓子が乗っていた。
「オレ、まだ起きられそうにねぇよ。座るなんて無理だ」
「そこで飲めばいいじゃないか」
 ベッドサイドにトレイを置いて、ジェットの体勢を整えてやると、ハインリヒはそのままジェットの隣りに腰を下ろした。
「黒? オレ、黒はあんまり好きじゃない」
「まぁ、飲んでみろって。この気候にはコイツだ」
「そのままでいいよ」
 栓を抜き、グラスに注ごうとしていたハインリヒの手からビールをとると、ジェットは瓶の口を口唇で軽く銜えた。
 いくつものキスマークと指の痕をつけた白い咽喉が、何度も上下し、音をたてた。
 艶めかしい光景だったが、瓶を離したジェットの瞳がキラキラとして、ハインリヒは微笑まずにはいられなかった。
「どうだ? うまいだろ?」
「うん……なんか、なんだろ? すっげぇうまい」
「ドイツでもよくこれを飲んでたんだ。あっちはビールがなきゃ、一日の半分は死んだようなもんさ」
 ハインリヒが自分のグラスにビールを注ぐ。
「それで国が成り立ってるのが信じられねぇな」
「お前の国のビジネスマンは働きすぎだ。特にお前は、昼夜問わず駆り出されてたんだろう?」
「あぁ、」
 そういえば、酒がうまいと感じたことなど、アメリカではなかった。
 NSAに所属してからというもの、ジェットは自分で借りたアパートメントで眠ることより、機関が所有している日借りの宿舎や空軍基地の休憩室、ボディの改造やメンテナンスを行うセンターの片隅で仮眠をとることの方が多かった。行きつけのバーに寄れば、そのまま考えごとを始めて、気づけば夜が明けていた。
 プライベートなど、残っている生身の脳の中にあるだけ。
 プライバシーなど、どこまで筒抜けかも図れない。
 国の正義の建前を保持する現場は常に殺気が隠り、特にサイボーグならではの単独行動を命じられることの多いジェットには、人としての尊厳など初めからないような扱いだった。
 程良く冷えた、瓶のビール。ハインリヒの普段の手の温度に、すこし似ている。
「アンタ、案外GSGが合ってたんじゃないのか?」
 ジェットのまっすぐな問いかけに、ハインリヒは一瞬返事に困ったような表情になり、意味ありげな笑みを浮かべた。
「まぁ、自由はあったな」
「博物館行きになったら、オレが毎日逢いに行ってやるよ。別に展示されるわけじゃねぇだろ?」
「それはされるんじゃないか。博物館なんだから」
「人権侵害だ、そんなの」
「だが、この俺に受付だの館内案内だのをやれと言ってくるとは、到底思えん」
「セキュリティがあるだろ」
「俺は兵器だぞ? うっかり展示物を壊しかねない」
 手袋をしていない両手を見下ろし、ハインリヒが眉を片側だけ上げる。
 躯のことで自分を卑下するような態度をわざととる彼が嫌いだ。ジェットは、眉間に露骨に皺を寄せた。
「そんなの、オレは認めない」
「お前が訴えてくれるか? でもお前、今でも交渉ごとは苦手だろう?」
 フン、と鼻から息をつくと、ジェットは上目遣いでハインリヒを睨んだ。
「そんなの、スパイ野郎に事業で成功した大富豪、ハッキング紛いの索敵屋、それに口八丁ならイワンがいるだろ。情報収集にも金にも交渉にも困んねぇだろうが」
「ありがたい話だが、お前が入ってないのはどうしてだ?」
「……向いてないからだよ……くそっ……」
 くくく、と笑いながら、ハインリヒがジェットの頭を撫でる。
 どうしてこの男は、いつまでも若いまま。可愛いのだろうか。
「ありがとな。お前と話してると、本当に飽きない」
「オレも、アンタと飲む酒が一番美味いってわかったよ」
「それは嬉しい発見だ。今度ドイツでも飲もう」
 ハインリヒがジェットにグラスをちいさく掲げ、美味そうに中身を空けた。
「アル、それ食う。開けて」
 ジェットが菓子の袋を指さすと、ハインリヒは左手のナイフで封を切ってやった。
「テクノロジーの無駄使い」
「まぁそう言うな。ほら、口を開けろ」
 ゴーストの形に揚がったスナックを一つ二つ、ハインリヒはジェットの口に入れてやる。
「まだこれ売ってるんだ……人気商品だな」
 塩味の濃いジャンキーな味は、変わっていなかった。
 香辛料と油のついた指先を舐めて、ハインリヒが顔をしかめる。
「相変わらずありえん味だ……」
「ドイツだってありえない味や色のもんがあるだろ」
「特別なときしかそういう菓子は買ってもらえないもんだ」
「ふーん……」
 ハインリヒはビールで口直しをすると、ジェットの口唇についたコーンの欠片を親指でとってやった。
「009とは、うまくやれそうか?」
「……たぶんな」
「奴さんもこれで晴れて高校生活卒業だ。ふたりで酒を教えてやろうじゃないか」
「日本は飲酒二十歳からだぞ?」
 そんなもの、とハインリヒの口の端が片方上がる。
「ドイツで飲めばいい。009がどれだけ子供に見られようと、保護者同伴ならノープロブレムって寛容な国だ」
「アンタとオレ、どっちが保護者をやるんだ?」
「言ったろ? ふたりでだ。俺たちが育ててますって顔してりゃいい」
「オレ、あんな可愛げのないガキ、ヤダ……」
 ハインリヒが声を出して笑った。
 確かに、最後に加わった、イワンを除けば最も若いメンバーは、その見た目とは裏腹に、決断が早くドライな面がある。それが、ジェットから見れば可愛くないと感じる部分でもあるのだろう。
「アンタは知らないだろうけど、ドバイの上空でさ、取っ組み合いをやったんだよ」
「009とか?」
「そんなバカなことするヤツ、ほかにいないだろ、上空千メートルだぜ? そこでアイツ、笑いやがったんだ、オレを」
 アメリカのしていることをジョーに指摘され、心が揺さぶられた。だから、アメリカの、ではなく、自分の邪魔をするヤツを排除するのだと答えた。自分は間違っていない。正義のために働いているのだ。祖国が利益のためにテロを起こしていようと、自分は自分の正義をまっとうしようとしている。
 そこにしか、自分の居場所はないのだと、ずっと思っていた。
「当ててやろう。そのあとお前は、009を宙に投げ飛ばした」
「……。なんだよ、オレはやっぱりマヌケなんだな……」
 ジョーはジェットを、ジェットはジョーを、疑惑から守りたかっただけだ。互いに当たり前のことをしようとしただけなのに、長い時間離ればなれになっていたせいで、解りあえなかった。
 違う。解らなかったのはジェットだけだったのだ。頑なになったまま固まってしまっていたジェットの心が、ジョーの真意をすぐには理解できなかった。
「009がそんな状況で笑顔になったのは、お前が昔と変わらず、ひたむきな野郎のままだったからだと、俺は思うがな」
「ひたむき?」
「まぁ、エレガントな言い方をすればだが」
「含むなよ」
 空になった瓶を受け取り、ハインリヒは新しいビールを引き寄せると栓を抜いてから、ジェットに二本目を渡した。
「まぁ言ってしまえば、お前はひどく真っ直ぐで、いつだって真剣で、隠し事ができない。長い年月アメリカにいても、そういうところは変わらなかった。お前は悪事に荷担できない性格のままで、仲間思い。あと、相変わらずビンボークジを引いてた。ヤツは、それが嬉しかったんだと思うんだがな?」
「ひでぇ。言いすぎじゃねぇのか」
「はっきり言えと言ったのは、お前さんだろ?」
「ずっと逢ってなかったアンタにそこまで見透かされてるってことは、やっぱり、オレは相当単純なんだな……」
「本当のところ、お前は人間が大好きだろう? そんなヤツに、隠し事なんてできないのさ」
 ハインリヒの左手が、ジェットの頭をぐりぐりと撫で回す。
 それを迷惑そうな表情をしながら、ジェットは素直に受け入れた。
 ハインリヒに頭を撫でてもらうのが、こんなに安心することだとは思っていなかった。何度撫でられても、心地良い。
「ジェット。俺はお前が可愛くてしょうがない」
 頬を手の平で優しく包まれ、ジェットの蒼い瞳がハインリヒをまっすぐに見上げる。
 ハインリヒの手の甲に手を添え。
 ジェットはハインリヒの手の平にそっと、口唇を寄せた。






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最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
ジェットのボディはすべてギルモア製だと思おうとしていたのですが(そのわりには腰周りや股関節などがかなりハードなデザインですが)、3段階形態に改造したのはアメリカだったと知って、戦慄しました……。ジョーは完全飛行形態を以前にも見たことがあるようなので、主な形状というか、全体のフォルムは、ギルモア博士が作ったものかもしれないですが。知らない連中に身体を晒さなければならなかったのかと思うと、ジェットの心中はどうだったのだろうかと。っていうか、メンバーがみんなオトナすぎて……。そんなに長いこと各国にバラバラになりっぱなしじゃなくてもイイじゃない!? もうちょっと仲間のことを考えたり連絡したりしててもね。それとも、まるっとほっとかれたのはジェットだけで、みんな実は毎年お正月とかは会ってたりとか(ジョーは3年ごと)、勝手に妄想してますますジェットが不憫に……。


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